27歳 挑戦し続ける経営者が描く未来
シーシャからサロンまで 次世代のライフスタイルを創造
挫折、挑戦、変化を恐れない企業を目指す。

公務員から転身、イベントの運営を経て、いまでは心斎橋や梅田を中心にシーシャバーやシーシャカフェを展開。最近では、まつ毛・眉毛サロンのFC運営にも乗り出すなど、若干27歳にして飛ぶ鳥を落とす勢いの、株式会社NEXT ONEの森田 英樹さんに、お話をうかがいました。
公務員からの転身――イベント運営をきっかけに見えた起業の道
―起業したきっかけを教えてください。
実は私、起業するまで公務員だったんです。幼少時代から興味があるもの以外は物覚えが悪くて、親からも「普通の会社に入ったらクビになるから公務員になりなさい」って言われてました(笑)。それで消防士になったのですが、20歳のときに、友人の結婚式の2次会で幹事を経験したことがきっかけで、イベントに興味が湧いてきました。
というのも、2次回は参加費として1人7,000円を徴収したのですが、お店と交渉したら1人あたりの価格を下げてくれて、結構お金が余ったんです。そのとき残ったお金は3次会で還元しましたが、「イベントをやったら結構儲かるんじゃないか?」と、頭をよぎったんです。そこで試しに男女の出会いイベントを企画したら収益が出たので、思い切って消防士をやめてイベント運営をすることにしました。
イベント成功から、バー経営への挑戦
―イベントはうまくいきましたか?
イベントは60人程度の規模のものから2、300人規模のものまで毎月開催していて、結構人気でした。大学生をはじめいろんな人に協力してもらって人を集めていたら、少しずつコミュニティが広がっていった。なら、その人たちが遊びに来れる場所を作ろうと、23歳で東心斎橋にバーをオープンさせました。イベントを手伝ってくれていた方達のなかでも、特に優秀な人や友達が多い人たちにスタッフとして働いてもらったら、予想通りお客さんがたくさん集まって、お店も順調に売上が伸びていきました。
シーシャバーへ業態転換――接客の品質を追求
―シーシャバーをはじめたきっかけは?
お店は順調だったのですが、少し経ったところでお店をまかせていたスタッフが独立するため、店をやめることになりました。そのタイミングで、シーシャバーへと業態をチェンジしました。当時はシーシャ人気が出てきたころで、心斎橋や梅田にも続々とお店ができていたのですが、接客がいいと思えるお店が少なかった。そこで、接客を重視したお店作りを進めました。コロナ禍の影響もあって、若い人たちがお酒をガブガブ飲むというより、おしゃれなお店でシーシャをたしなみながら会話を楽しむという流れに変わっていった。そんなゆったりとした時間を楽しみたいのに、接客が悪いと台無しですよね。そのため教育に力を入れて、接客に関しては高いレベルを維持しています。経営理念の一つとして「接する全てのお客様と全従業員の幸福を追求する」を掲げていますが、お客さまに楽しんでもらってこそ、スタッフのやりがいにも繋がると思いますから。
集客の工夫とマーケティングの応用
―世間では集客にこまっているお店も多いですよね?
私たちも簡単に集客できたわけではありません。グルメサイトやグーグル、SNS、DM、インフルエンサーなど、とにかくあらゆるものを試して手応えがあったものを伸ばす、という単純なやり方です。一通りやったなかで、この店はこれが強い、というものに力を入れていく。結局は、いかにマーケティングできるかだと思います。これはどの業種でも同じで、私の妻が眉毛まつ毛・眉毛サロンを経営していたのですが、出産で続けることができなくなった。そこで私が代わりに運営することになったのですが、世の中にサロンは山ほどあるのに個人店が多くて、マーケティングができているところが少ない。だから私たちが培ったマーケティングを応用し、集客や店舗設計に関するノウハウを提供してFC事業として展開をはじめました。すでに4店舗まで増え、今後は大阪以外にも出店を予定しています。
「挫折、挑戦、変化を恐れない」企業理念と未来への展望
―今後の展望を教えてください。
シーシャとサロンの2本柱が確立されたので、大阪以外でも展開していきたいです。そのためには、立地のいい場所で、自然光が入るビルを持っているオーナーさんと知り合いたいですね(笑)。ただ、シーシャも文化として定着しつつありますが、本当にこのままずっとこの流れが続くかどうかはわかりません。いつ何が起こってもいいように、「挫折、挑戦、変化を恐れない企業」を経営理念の大きな軸として考え、常に変化に対応できる体制を築いていきたいと思っています。
Shisha Cafe MELLORA/シーシャカフェ メローラ 心斎橋店










